信仰とオタクと漫画の事など
世界の様々な神話などを読んでいるとその根底には、神様も人間と同じように感情豊かで、その神様は自然と一体になってあらゆる所にいるから自然を大事にしよう。
そしてその自然を自分たちの私利私欲の為に利用したりして大事にしなかったらそらブチギレまっせ。
と言うような啓蒙的役割があったように思う。
と同時に娯楽の少なかった時代の、今で言う少年漫画のようなものでもあったのだろう。
物語に登場する種々雑多な神々の中からある神にシンパサイズ或いは感情移入して「僕の私の推しは誰々」とか言ってみたりして遊んでいたのだろう。(それがオタク趣味、或いは信仰の始まり?)
三千年程前から人類にはそういうオタク性のようなものが備わっていて、そういう遊びを本気にしてしまう冗談の通じない人も一定数いて、それで喧嘩して時には殺し合ったりもしたのだろう。
今はそういうオタク趣味も多様化して、ある種の文化みたいになったが、本質的には三千年前から何も変わっていないと思う。
現実に生きられない冗談の通じないヤバいキモオタもいるし、資本主義のお陰でオタク文化も経済を動かすのに有用だとわかって来て今では市民権を得てきたので「僕の私の推しは誰々」とか言ってみるファッションオタクも増えたなと思う。
オタク趣味の対象はステレオタイプ的に言うと漫画、アニメ、ゲーム、アイドル、鉄道、模型などが挙げられるが、歴史上の人物、作家、芸能人、歌手、声優、スポーツ選手、スポーツチーム、新興宗教、メンタリスト、YouTuberなどのファンも根本的には変わらないだろう。
オタク趣味の対象はまだまだ無数にあって、そこまで多岐に渡ってくると、もはや誰もが何かのオタクで、何がオタクで何がそうでないのか分からなくなる。そもそもオタクって何やねん。
収拾がつかなくなってきたので漫画の話に限定して、俺が今までどんな漫画を好んで読んできたかと思い返してみると、曽根富美子さんの「親なるもの 断崖」とか、秋本治さんの「こち亀」、手塚治虫さん、つげ義春さんの作品などが思い当たる。
思い出すと結構心に残る素晴らしい作品ばかりで、また読みたいと思うが、全て手放してしまって手元に一冊も無い。
俺はオタクにはなれなかった。
しかし生きているという事は俺も何かのオタクなのかも知れない。