どうして僕らにはやる気がないのか(No future 2020)
日本は米国ほど広くないので都市部と地方で米国ほど社会的に分断する事は無いかなと思いきや、世代間ギャップ、経済的格差、政治的信条の差異など様々な要素が入り混じった社会的分断が深刻化しつつあるかなと思う。
三塁生まれが三塁生まれの為に政治をすれば当然貧富の差は大きくなる一方である。
貧者が更に貧しくなり余裕が無くなればますます賢明な判断は出来なくなる。
どうしていいかわからず、戦うべき相手もわからず搾取されている貧者同士で足の引っ張り合い。
悪事を働く者も増えるだろう。
賢くって正しい人がなんとかしてくれよ。
俺には余裕が無いのだ。
お前が支持してるその政党はお前の事滅茶苦茶馬鹿にしてまっせ。
見たいものだけフォローして、見たくないものはブロック、ミュートしてるので何にも分からないのだろう。
お前にも余裕が無いのだ。
新しい家電。便利になる暮らし。
自然への感謝や生かされている事を忘れて傲慢になる人々。
心地良い情報ばかりサジェストされて知らず知らず傾いていく。
傾いている事にも気付かずに。
平衡感覚が狂っていく。
俺ももう狂ってしまっているのかもしれない。
俺には余裕が無いのだ。
2020年は大きな節目で、十年後の事を考えてみようと言うけれど。
十年後は42歳。
生きている気が全くしない。
あと十年も生きたいと思わない。
俺にも何か無条件で信じられるものがあれば良かったのかもしれない。
偶像と、それを盲信する者の事を少し羨ましく思う。
それはきっと尊いものなのでしょう。
卒業おめでとう。
卒業おめでとう。
卒業おめでとう。