有明涅槃雑記

(ブログ)

姫路市立水族館(平日一人水族館おじさん。'21)

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ただ、なんとなく、天気が良かったので書店に行くついでに姫路市立水族館


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人間に捕まってしまった魚たち。

食われるのと飼われるの、どっちが幸せ?


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魚で一番悲しい金魚。

金魚で一番悲しいらんちう。

って知久さんが歌ってたっけ。


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すっぽんを覗く時、すっぽんもまたこちらを覗いているのだ。


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リクガメのリクくん(30)

体重は70㎏くらいあるらしく、間近で観ると結構迫力があった。

俺ぐらいの細身の男なら乗れるかもな、と思った。

しかしリクガメのリクくん(30)にホモサピエンスのホモくん(32)が乗るって、どう?


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"ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨の尖。


それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。"


中原中也『骨』より)


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なんかええ感じのやつ。


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ええ感じのクラゲ。


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なんか妖しい感じのやつ。


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イカナゴ

兵庫の瀬戸内海沿岸地域ではイカナゴの稚魚を醤油や砂糖、生姜などで甘辛く煮詰めて食べる。それを「イカナゴくぎ煮」と呼ぶ。

このイカナゴたちはくぎ煮にするには大き過ぎる。

くぎ煮にされるのと飼われるの、どっちが幸せ?


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コブダイ

コブダイはメスで生まれて産卵して、大きくなったらオスに性転換して頭や顎にコブが出来る。

このコブダイは元メス。


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マアナゴが、密です。


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鯉も、密です。

俺はこの時餌を持っていなかったが、人間が近付くと餌が貰えると思って集まってくる。

俺もこれぐらい貪欲に生きたい。

いや、そうでもない。


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魚。

水族館に居るのは魚か、それ以外のなにか。


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俺は二足歩行の、煩悩まみれのなにか。

魚は泳ぐ時、何を考えているの?


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この辺にロープを掛けれそうな、ええ感じの木はあるかな。


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いや、天気も良いし、もうちょっと歩くか。

十年。放浪記。Does the "experience" change a person?

東日本大震災から明日で丁度十年になる。
十年経ったからと言って自動的に何かが更新されるわけではない。
まだ復興は終わっていないし、心の傷や喪失感を抱え続けている人もいるだろう。
だから記念だとか節目だとか、そんな事は言いたくない。
十年という纏まりのように捉えるのは勝手な観念で、実際は一日一日、一瞬一瞬がただ続いていくだけである。

しかし十年前俺は何をしていたっけな、などと思い返すと浮かんでくる事も色々とあるので、記憶を整理する為にも当時の事やこの十年の事について書いてみる事とする。

東日本大震災が起こった頃の事

当時、俺は22歳だった。高卒で資格も知識も何も無い俺は関西の薄暗く埃臭い工場で最低賃金に近い賃金で製品の入った重たい箱を毎日ひたすら積み下ろしするだけの単純労働をしていた。

震災の翌日、職場の休憩所で若い同僚が、被災した地域の映像をニュースで見て「最高の景色だ。あんな風に愚かな人間どもが一掃されるのは見ていて気持ちがいい」などと言って笑っていた。
自分だって住んでいる場所が少し違えば被災していた可能性もあるし、いつか被災する可能性もある。それに、自分にとって大切な人やものが流されてしまったらその悲しみは計り知れないだろう。それなのに他人事だと思ってそんな事を言うのはどう考えてもおかしい。前々からおかしな奴だとは思っていたが、こいつはヤバい奴だなと改めて思った。

俺はそんなヤバい奴がいる職場で毎日の単純労働の繰り返しに飽き飽きしていたし、何か自分を変えなければいけないという焦燥感があり、一人で海外でバックパッカーのような事をすれば何か変わるんじゃないか、という浅はかな考えからバックパック一つで東南アジアに行って三週間くらい放浪する事にした。
金はそんなに持っていなかったので予算は15万円くらい。物価の安い東南アジアなら何とかなるだろうと思った。

当時の職場は結構自由な所で、「来週から三週間、有休を使って海外に行きます」と上司に言うと、「あぁ、そうなのねん、気をつけて行ってくるのねん」みたいな感じであっさり許諾された。単純労働なので代わりはいくらでもいるし、どうでも良かったのだろう。

初めての海外

タイは物価が安く、比較的治安も良いのでバックパッカー初心者にお勧めだと聞いていた。だから先ずはタイに行って、それから陸路でミャンマーラオスカンボジアにも行ってみようと大まかな予定だけ立てて宿や交通手段の予約などは何もせずに行った。

関西国際空港から飛行機に乗って、タイのバンコクに着いたのは夕方で、とりあえずその日の宿を探すので精いっぱいだった。予算は少ないので一泊二千円以下の宿を探して泊まる。一日目はバンコクのチャイナタウンの一泊1500円くらいの宿に泊まった。初めての異国の夜は非常に心細かった。しかしここまで来てしまえばなんとかなる、いや、なんとかするしかないと思った。

異国での日々は全てが新鮮だった。そういえば当時の俺は国内でも三週間放浪するという経験は無かった。初めての一人旅で海外というのは少しやりすぎた感は否めなかった。英語は苦手だし、タイ語も全くわからなかった。持参した「地球の歩き方」と英語とタイ語の旅行用のフレーズ集のような本には結構助けられた。

バイクタクシーやトゥクトゥクの運転手などは俺が日本人だと分かるとぼったくろうとしてくる事が多かったが、俺も少ない予算の貧乏旅行でぼったくられている場合ではなかったので必死に食い下がった。相場は大体「地球の歩き方」に載っていた。

ぼったくり価格でも日本の物価からすれば安かったりするし、見知らぬ異邦の観光客に親切にしてくれているのだから、多少はサービス料として多めにとられても仕方がないかなと思う事もあったが、ぎりぎりの妥協点に行きつくまでの鬩ぎ合いで随分消耗した。

最初の一週間くらいはバンコク周辺で寺院や遺跡を巡ったり、大きい市場に出掛けたり、食べ歩きをしたり、Nikonの安いコンデジで熱心に写真を撮って回ったりした。バンコクを離れるのが怖かったが、自分を変えるためにはもっと冒険しなければいけないと思った。

タイ最北端の街メーサイから日帰りならビザなしで国境を越えてミャンマーのタチレクという街に行けて、タチレクという街は国境の近くに広い市場がありタイから行き来する人も多く、両替しなくてもタイバーツがそのまま使える。という事が地球の歩き方に書いてあったので、夜行バスでタイ最北端の街メーサイまで行って、そこから歩いて国境を越えてみる事にした。

ミャンマーの短くて長い半日

バンコクから夜行バスに乗った。バンコクから離れれば離れるほど車窓から見える景色は暗くなり、不安になった。タイ最北端の街メーサイには翌日の早朝に着いた。
夜行バスの座席は狭いし座面は硬くて全然眠れなかったのでメーサイで宿を決めて少し仮眠をとってから昼前頃に国境へ向かう。宿からイミグレーションまでは徒歩で数分だった。

国境を越えてミャンマーへ来てみると、辺りは殺伐としていて道があまり舗装されていなくて砂埃がひどい。職にあぶれた若い男たちが道端で往来を睨んでいたり、駅弁売りのように立売りの箱を持って怪しい薬を売っている男もいる。いかにもスラムという感じだった。100バーツ(当時のレートで300円くらい)で泊まれる宿もあった。
国境を通れるのは夕方までで、夜行バスでの長旅で疲労も溜まっているし治安も悪そうだし、早くタイの宿に帰って休もうと思った。

しかしせっかくミャンマーに来たし、腹も減っているし、飯だけでも食べて帰ろうと思い、屋外に粗末なイスとテーブルを置いただけのような屋根の無い食堂でカオカームー(煮込豚足飯のようなもの)を食べた。
これを食べ終わったらタイに帰ろうと思っていたら、二十代半ばくらいの小柄で人の良さそうなミャンマー人の青年が声をかけてきた。

「日本人か?昨日の試合でホンダがゴール決めてたよな。俺は日本が好きなんだ。ちょっと話さないか?」

俺はサッカーが好きだったし一人で心細かったのでその青年と話す事にした。
ビールを奢ってくれたらバイクでこの周辺を案内してやる、"Long neck"も見せてやる、と言われたので一緒に食堂でミャンマービールを飲んだ。

青年はマイケルと名乗っていたが真偽はわからない。
小柄で、とにかく良い奴そうだった。以前にも日本人観光客を案内した事があるらしい。

酒が進むとマイケルは「"OKIYA"に行こう」と言ってきた。
"OKIYA"とは何なのかと尋ねると、金を払って遊女と遊ぶことができる施設の事だと説明された。(日本に帰ってから調べて知ったが、日本の「置屋」がその語源らしい)
本番一回500バーツ(当時のレートで1500円くらい)だという。いかにも危なそうだ。

俺は日本でもそういう店には行ったことが無かったし、「俺はそういう事をしに来たんじゃない、寺院や遺跡を巡ったりして自分を変えるために来たんだ」と言ったが、何故かマイケルの押しが強かった。

マイケルは「何事も"experience"だよ」と言った。

自分を変えるには確かに"experience"は必要なのかも知れない。そう言えば俺は日本では出来ない特別な"experience"を求めて異国の地に飛び込んだのだ。

そして俺は食堂を出て(出ると言っても元々外だが)マイケルのバイクの後ろに乗って、金色のデカい仏塔や少数民族の住む集落やマーケットを観た。首長族にも会った。首長族って本当にいるんだなと思った。

もしあの食堂でマイケルに出会わなければミャンマーで何もせずに帰るところだった。マイケルには感謝している。

その日、俺が"OKIYA"を"experience"したのかどうかは書かないでおく。
(て事はお前、行ったんだな?などと無粋な詮索はしないで頂きたいw)

バンコクに戻り、自分のヘタレを痛感する

メーサイからバスでチェンマイまで行き、チェンマイから寝台列車バンコクに戻った。ラオスカンボジアにも行く予定だったが、慣れない旅で心身ともに疲れていたのでやめた。

バンコクに戻ってから、バックパッカーに人気のカオサン通りの安宿にも泊まったが、宿の周囲に一晩中酒を飲んで騒いでいる奴らがいて、うるさくて眠れなかった。俺は元来、ひきこもり気質の人間で、バックパッカーには向いていないと思った。

その後は旅行代理店に行き、日本なら一泊一万円以上はしそうなバンコクの一等地のホテルが一泊二千円くらいで予約出来たのでそこに一週間ほど連泊。
それから帰国するまではずっとその快適なホテルを拠点にバンコク周辺を散歩したり、屋台街で食べ歩きをしたり、市場に行ったり、国鉄に乗ってアユタヤへ行って遺跡を観たりした。

夜は出歩かず、危なそうな場所には近寄らずホテルの窓から夜の街を眺めたり、テレビで何故かサッカーのイングランドプレミアリーグの試合を倍速で放送しているチャンネルがあったのでそれを観たり、本を読んだりしていた。

所謂「外こもり」のような感じが俺の性には合っていた。

それで、何か変わったのか?

予定していたカンボジアラオスには行かなかったし、旅の後半は殆ど快適なホテルに籠っていたし、俺はやっぱり意思薄弱で、何をやってもあかんなあと痛感するばかりであった。

Nikonの安いコンデジで熱心に撮りためた写真などを帰国してから見たが、まあ似たような写真はネット上にいくらでも転がってるしな、と思い全部消した。

しかしまあ、初めての異国でもなんとかなったし、日本国内なら余裕だろう、という漠然とした自信はついたのかもしれない。

放浪の日々は続く

それから、国内でも結構放浪した。北海道に旅行に行って、気に入ったのでそのまま一年程、十勝や北見のあたりに住んだりもした。信濃や伊勢、近江辺りを転々としてみたりもした。旅先で知り合った女と暮らした事もあった。

仕事はと言うと、アパレル販売、自動車の組み立て、農業、半導体製造、工場の生産管理、Webデザイン、電子書籍の出版など、結構いろんな事をやった。

俺はそれらのどれも大事にしなかった。然程苦労して手に入れたものでも無かったので、その有り難みがわからなかったのかもしれない。

「十年」

何かを獲得してきたというよりは、捨ててきた十年だったと思う。何も残らなかったが、未練や後悔は無い。

ただ、勉強はもっと熱心にしておけば良かったと思う。いくつになっても遅過ぎるという事は無いが、なるべく若いうちにやっておいた方がこの社会では何かと有利だ。

これまでの十年は若さでなんとかなったが、これからの十年はそういうわけにはいかないだろう。

"ぼくは三十だった。前途には、新しい十年の不気味な歳月がおびやかすようにのびていた。"
フィッツジェラルドグレート・ギャツビー野崎孝 訳)

「十年」と一つの大きな纏りのように捉えると何か意識してしまうものもあるが、そんなものは勝手な観念で、一日一日、一瞬一瞬がただ続いていくだけの事だ。

この先、どんな”experience”が俺をどんな風に変えていくのか、そもそも俺はあと何年、何日生きられるのだろう。明日の事も分からない。ただ闇の中を手探りで彷徨う日々である。

何処かに光明はあるのだろうか。


阿呆の初詣 in March.

初詣ってどうやってやるんですか?
学校で習いました?


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ここでニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を朗読すればいいんでしたっけ?


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或いは、ここでピストルズの『God Save The Queen』を熱唱すればいいんですかね。


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この神聖な水で手を洗えばCOVID‑19は死にますか?


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車谷長吉さんはこの辺りで生まれ育ったそうです。


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死んだ俺の父は車谷長吉さんと同じ高校(オナ高)出身です。


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母も車谷長吉さんと同じ高校(オナ高)出身です。


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俺も車谷長吉さんと同じ高校(オナ高)出身です。


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しかし父も母も俺も慶應へは行っていません。


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学のない、その辺の阿呆です。


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期間工と肉体労働の日々です。


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信濃や十勝、北見、伊勢、近江辺りで職も住処も転々としてきました。


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俺がミニマリスト気味なのはそのせいです。


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もう疲れました。


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この辺でいい木を探して、首でも吊るか。


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でも、もうすぐビヨーンズの新曲が発売されるからそれまで生きよう。とか、


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あの子の卒業を見届けるまで生きよう。とか、
そういうのの繰り返しです。


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夜な夜な、ハロプロを観て涕泣しているヤバいおじさんです。


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ハロプロ涕泣おじさんです。


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世の中がつまらなくなれば自殺も犯罪も増えます。


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次の電柱まで、あと何歩?

第157回日商簿記検定試験2級とは何だったのか(呪)

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俺と簿記

俺は昨年の2月に日商簿記検定3級の試験を受験して、合格した。簿記検定のスマホアプリと過去問題集で1か月くらい、毎日2、3時間勉強したら合格できた。簿記って結構簡単だなと思ったのでそのまま6月の試験で2級も取ってしまおうと思って過去問題集を買って少し読んでみたが2級は3級と比較すると非常にややこしい。工業簿記や全然聞いたことがない勘定科目が出て来て、これはめんどくさいな、と思っていたら疫病がえらいことになり試験も中止になるかもしれんという話になり、俺は英語の勉強もせないかんし、試験会場で集団感染に巻き込まれるのも嫌だし、簿記はもうやめちまおうかなと過去問題集には全く手をつけずにいた。

しかし2021年になって、試験会場も疫病の感染対策には力を入れてますというし、6月から試験形式が変わるというので俺の買ってしまった過去問題集が使えなくなるかもしれないと思った。そうすると金が無駄になるので勿体ない。じゃあ2月の試験を受けておこう。そう思った。そう思って申し込んだのが1月14日。動機が不純なせいか正直あんまりやる気が出ないが受験料を払ってしまったからには頑張ろう。合格できなかったら金が勿体ない。そう思ったのでそれから毎日3、4時間、簿記検定のスマホアプリと過去問題集で学習し、過去12回分の過去問は大体どれも90点以上取れるように仕上げていた。回によっては何度か満点も取った。初めの方は2時間では足りなかったものが、試行錯誤を重ね出来る限り無駄を排除し、30分くらい余るようになった。ある程度の難問が出ても他で落とさないようにしつつ難問も部分点は半分以上取れるようにしていた。

あれだけ意味不明だった勘定科目も工業簿記も理解できるようになったし、簿記はパズルのようで楽しい。新しい事を学ぶのはいい事だ。そう思っていた。
第157回日商簿記検定試験2級を受験するまでは。

第157回日商簿記検定試験2級の手応え

俺は定石通り、工業簿記から解き進めた。要するに第4問、第5問、第1問、第2問、第3問の順番である。
第4問、5問は簡単だったが緊張や工業簿記は絶対に落としたくないというプレッシャーから少し時間がかかった。第5問が慣れないシングルプランだった事もあり、この解き方で合っているのか?と不安になり見直しに時間を使ってしまった。
第1問は端数利息の日数計算や税効果会計もあったが過去問で何度もやっていたので難なく解答できた。しかし慎重になりすぎて結構時間を使ってしまったなと思った。
そこへ第2問。リース資産の問題。うわあこれはわかるけどめっちゃ時間かかるなあと思い第2問は後回しにして第3問を解こうと思った。
それで、第3問で見たことのない製造業の損益計算書。なんじゃこりゃ。やっぱり第2問から解こう。
しかし第2問もまあややこしい。時間がかかる。減価償却と前期繰越と除却分だけ計算して第3問の簡単に解ける部分点だけ狙おう。いや、第3問も全体的に結構捻りがきいてるし、簡単に取れる所も無さそうやなあ。そこまで捻る必要あるか?難問は第2問か第3問のどっちかにしろよ。今までも大体そうで、それは暗黙のルールやったんちゃうの?ちょっとやる気失せるわ。まあやるしかないからやるけど。などとやっているうちにあっという間に2時間。
第2問、第3問はボロボロ。
第1、4、5問が全部合っていたとしてもギリギリ。
で、帰って解答速報を見てどうやらどう見ても60点台。終わった。

問題作成者よ、お前は何がしたいのか

第2問と第3問、あれは無いだろう。

実務で使うかもわからない重箱の隅をつつくような問題よりもっと覚えておくべき事は山ほどあるだろう。

あんなんならまだ連結会計を出してくれた方が良かった。
連結会計ならのれんや非支配株主持分や債権債務の相殺などで部分的を10点はとれた。

それは確かに応用力も必要かも知れない。しかしそれを2級受験者に求めるものなのか。
よく考えればわかる問題だ。確かにそうかもしれない。
しかし試験の時間は2時間しかないのだ。
本当に2級受験者が2時間で解かなければいけない問題なのか。

俺を含め、意気消沈した様子で帰る者は沢山いた。これで簿記を嫌いになった者もあるだろう。

なあ、正直に言ってくれ。
落としたいだけなんだろう。
何度も落ちて何度も受験してくれた方が儲かるから。

そんな合格者数調整の為に難易度のコロコロ変わる試験に振り回される受験者の身にもなってみろよ。

首を痛めて、寝る間も惜しんで、英語学習を犠牲にして、大好きな「ストリートファイター」をするのを我慢してまで勉強してきたこの2ヶ月をなんだと思っているのだ。

こんな不誠実な試験があってたまるものか。

問題作成者よ、
お前を末代まで呪ってやる。
いい死に方が出来ると思うな。

落ちた同士よ、
一緒に五寸釘でも打ちに行かないか?

何?
2018年10月1日に消えたリース資産と同じ目に合わせてやる?

早まるんじゃあない。俺達にはまだネット試験がある。

俺だって納得いかないがもうネット試験に申し込んでしまった。通常の試験なら合格する実力は既に身についていることは確かであるし、これ以上簿記の学習の為に時間を使いたくないので忘れないうちに早く受験したかったが俺の田舎の近所の会場では4月まで予定が空いていなかった。都会まで行って疫病に感染するのも嫌なので仕方なく4月の試験を受けることにした。

しかし、ネット試験の受験料、払わなあかんのかね。
不誠実な出題をして申し訳ございませんでした。お詫びとして、今回の受験者は全員無料でネット試験を受けなおしてください。というのが筋じゃないのか。

なあ問題作成者よ、
もう一度言うぞ。
末代まで呪ってやる。
いい死に方が出来ると思うな。

幻想即興日記「3がつ3にち-Stranger Than Paradise-」

今週のお題「雛祭り」


今日、パパンが死んだ。

火葬場にて

「火葬のオプションですけど、素焼き、塩焼き、テリヤキの中から選べますので、好きなのをお選びください」

「テリヤキってのはなんなんです?」

「テリヤキって言うのはしょうゆベースのあまじょっぱいタレを塗ってええ感じに焼いたやつの事です」

「さいでっか、ええ感じやなぁ。どうしよかなぁ。初めての事でようわからんのですわ」

「塩焼きも結構お勧めですよ。言い忘れてましたけど、塩焼き言うても普通の塩焼きと、スパイシーソルト、ソルト&ペッパーの三種類からまた選べるんですわ。スパイシーソルトっちゅうのは5種類のスパイスと岩塩をミックスしたちょっと洒落た塩の事で、ソルト&ペッパーっちゅうのは塩こしょうの事ですわ」

「スパイシーソルトってのも洒落てますなあ。しかしまあ、テリヤキにしますわ」

「かしこまりました。焼き加減は衛生的観点からウェルダンしか選べませんのでご了承ください」

「衛生的観点ですか」

「そうなんです。人間って汚いんですよ」

「そうですね。人間は汚いです」

俺はパパンのテリヤキを食べた。そう言えば昔、マクドでこんな味食べたなぁ、と思った。

弔辞

ワタスのパパンは立派なパパンでした。それはそれは超人的っていうか、プリミティブかつコンサバティブで、守ってくれそうな雰囲気が背中から滲み出てたって言うか、草野球の5番バッター、そんな感じでした。

パパンはワタスに沢山のものをくれました。中でも最も大切にしているのはアルバニア土産にくれたどえらいかわいいクマのぬいぐるみです。そのクマのぬいぐるみはそれはそれはどえらい可愛くて、ワタスはクマと言えばそのどえらいかわいいクマのぬいぐるみしか知らないわけですから、三毛別羆事件とか言われましても、それは別の世界の話っていうか。こんなにどえらいかわいいクマちゃんが人を襲ったり食べたりするわけ無いじゃんって思ってしまうわけですよ。

同じように、ワタスは政治や法律に関してもそういうデフォルメされたどえらい正しい政治や法律のイメージを見せられて育ってきたので、政治家は偉い人、法律はワタスらを守ってくれるものと無条件で信じているんです。そんなの常識です。

真実なんて知りたくもないんです。ワタスはいつまでも子供のまま、どえらいかわいいクマちゃんと遊びながらどえらい正しい政治や法律に守られていたいんです。

かわいくなくて醜いだけの真実なんて知りたくもありません。

何か文句ありますか。

例えばソクラテスを学んでも、

「自分の中の疑問を大事にして納得いくまで探究し続けよう」と思う人もあれば、

「殺されたくないから大人しく周囲に合わせて生きよう」と思う人もいるでしょう。

人間はみんな自分がかわいいのです。

なんの話でしたっけ?

ワタス、なんかアホっぽいですか?

だって今日は3月3日ですからね。3の倍数と3のつく日はアホになるんです。そんなの常識です。


格ゲーの事など。俺のゲーム事情(updated)

俺は学生時代以来十数年殆どしてこなかったゲームというものを昨年末頃にやり始めた。疫病の影響で外出の機会が減った事もあり、ストレス解消の手段としてである。

気の向くままにレースゲームやシューティングゲームなど様々なゲームをやってみたが、最近は格ゲーしかやらなくなった。どうやら俺は格ゲーが好きらしい。

とは言え、俺はプレステやSwitchやXboxなどのゲーム用の機器は持っていなくて、PCやiPad miniにコントローラーを繋いでゲームをしている。

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どんなゲームをしているのか(PC編)

「ストリートファイター30thアニバーサリーコレクション」
THE KING OF FIGHTERS 2002 UNLIMITED MATCH」
餓狼 MARK OF THE WOLVES
「幕末浪漫第二幕 月華の剣士

上記のゲームは全てSteamで購入した。
元々はMicrosoft Storeでゲームを購入していたが、「ストリートファイター30thアニバーサリーコレクション」に収録されている「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」がやりたかったのでSteamを利用してみた。

同じ作品でもアーケード版をそのまま移植したようなMicrosoft Store版より家庭用にアレンジされたSteam版の方が良かったりするので「THE KING OF FIGHTERS 2002」や「餓狼 MARK OF THE WOLVES」はMicrosoft Store版を持っていたがSteam版を買いなおした。

「ストリートファイター30thアニバーサリーコレクション」は2990円。
THE KING OF FIGHTERS 2002 UNLIMITED MATCH」は740円。「餓狼 MARK OF THE WOLVES」と「幕末浪漫第二幕 月華の剣士」は490円だった。SNKのゲームはどれもセール中で半額以下になっていて安かった。

俺のPCはゲームをするために買ったものではなくHPのメーカー直販で7万円くらいで買ったもので、高性能なグラフィックボードなどは搭載しておらず、プロセッサーはRyzen5だが、今のところは何も問題なく快適にゲームが出来ている。

どんなゲームをしているのか(iPad mini編)

ストリートファイターIV CHAMPION EDITION」
THE KING OF FIGHTERS-i 2012」

IOS版はiPadiPhone用に簡略化されている分魅力も削がれていて、PCでやっている格ゲーと比較すると物足りない感じがあるので最近は殆どやっていない。

コントローラーについて

【PS4/PS3/PC対応】ファイティングコマンダー

【PS4/PS3/PC対応】ファイティングコマンダー

  • 発売日: 2015/12/17
  • メディア: Video Game

初めはXBOXのコントローラーを使っていたが格ゲーをやる時技が出しにくいのでホリというメーカーの「ファイティングコマンダー」を購入した。アナログスティックが無くR1とR2ボタンが前面にも付いていて格ゲーがやりやすい。これを購入してから格ゲーのコマンド入力がし易くなった。
アーケードコントローラーを買おうかとも思ったが、そこまで本格的にやる訳ではないし操作する際の音がうるさそうだったのでやめた。俺ぐらいのライトゲーマーには「ファイティングコマンダー」ぐらいがちょうどいい。

俺のゲーム頻度・やり方

格ゲーに傾倒し始めて以来ほぼ毎日「ストリートファイター30thアニバーサリーコレクション」に収録されている「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」か「ストリートファイターZERO3」のアーケードモードをラスボスを倒すまで一周か二周やっている。
ストリートファイターはCPUが結構手強く、勝つためにかなり真剣になって熱中するので、その後で「THE KING OF FIGHTERS 2002 UNLIMITED MATCH」か「餓狼 MARK OF THE WOLVES」か「幕末浪漫第二幕 月華の剣士」のCPU戦を2、3戦してクールダウンする、という流れで計20-30分程度。

俺はまだ最近格ゲーを始めたばかりの初心者で、オンラインの対人戦は何度かやったが毎回ボコボコにコンボを決められて完敗する。
勝てないとつまらないので一人でCPU戦ばかりやっている。

格ゲーの何がいいのか

俺は色々なゲームに手を出してみたが、コレクション要素やレベル上げなどがあるとそれを集めたりレベルを上げるための単純作業となって直ぐに気持ちが萎えてしまうので向いていない事がわかった。

気軽に短時間で楽しめていつでもやめられる、それでいて自分の腕前が反映されるようなゲームが良い。それが格ゲーだった。

格ゲーはやればやるほど上手くなる。もっと強くなりたいという欲が出てくる。多くの人が時間を忘れて熱中する気持ちがわかる。

プロの試合などを見ると、格闘技を見ているようであり、将棋や囲碁の試合を観ているようでもあり大変面白い。

これから格ゲーがeスポーツとしてどうなっていくのかわからないが、格ゲーは年齢や性別や身体的なハンディキャップを超越する競技として大きな可能性を秘めていると思う。

俺はいつか飽きたり、格ゲーをする余裕が無くなる日が来るかも知れないが、今のところは楽しくやっている。なんでも、楽しく無くなった時が止め時かなと思う。

プロゲーマーの第一人者である梅原大吾氏はある講演会で「仮に今死ぬとしたら後悔はありますか?」と問われて、「これだけ楽しく好きな事ばかりして来たし、後悔の無いように日々心掛けて来たので後悔は無いと思います」と言っていた。

非常に刹那的な生き方をして来た人のようにも見えるかも知れないが、実際、人はいつ死ぬか分からない。今日かも知れないし明日かもしれない。偶々今日も死ななかった。その積み重ねが今である。

明日死ぬかも知れないのに、今日そんな生き方でいいのか?と俺も時々自分の心に問う事がある。

毎日、後悔の無いようにしたいものである。

格ゲーの話から逸れてしまったので、この辺で終わりにしておく。