音楽について。monotron、YOASOBIの事など。
今週のお題「大人になったなと感じるとき」
monotron、Pan、ステレオの事など。
iKaossilatorの音は非常に鮮明でデジタルらしい音だが、monotronを通すとアナログっぽい音になるのが良い。ホワイトノイズが入って音質が程良く劣化するのも良い。
ただ、iKaossilatorにはPanが左右に揺れる音色やPanが左右に振分けられるハイハットなども入っているが、ステレオの音源もmonotronを通すとモノラルになって平坦な音になる。
インもアウトもステレオミニジャックの筈だが、monotronの内部でモノラルミックスされるらしい。
しかしまあ、俺はiKaossilatorのわざとらしいpanningがあまり好きでは無かったのでそれはそれで良い。あまり極端にPan振りしてある曲などはイヤホンが壊れたのかと思うし平衡感覚が狂うので止めて欲しい。
と言うかそんなビートルズの時代のような事はイヤホンで音楽を聴くのが主流となってきた最近ではもう古いので無くなって行くだろう。
或いは社会的経済的格差の広がりによって、「広くて防音のしっかりした家の高価なスピーカーで音楽を聴く層」と「イヤホンで音楽を聴く(そうせざるを得ない)層」に二極化して行くのだろうか。
「YOASOBI」について。
ある音楽ジャーナリストがYOASOBIという音楽ユニットの「ビートの単調さと音色・音圧のショボさが世間で許容されてるのはちょっと信じたがたい(原文儘)」などと批判して話題になっていたので試しにYOASOBIという音楽ユニットの楽曲を幾つか聴いてみた。
俺はビートの複雑さや音圧などに拘って音楽を聴いていないが、確かに音が非常に軽いなと思った。そこはもっとバスドラムのエッジを効かせた方が気持ちいいのにな、と思うところもあったが、しかし同時に、これは比較的耳に優しい音楽だなとも思った。音圧が高過ぎる曲は重低音に鼓動が支配されるような感じがして俺は苦手で、そう言う音楽を避けて来たので、これなら聴けるなと思った。
それから、ボーカルにクリアなミキシングがされているので、音が軽いのと相まって歌が非常に鮮明に聴こえるとも思った。これはとにかくボーカルがもっと鮮明に聴きたかった中学生高校生の頃を思い出した。
軽くてシャカシャカした音の上にクリアなボーカルが乗っていて、2レイヤーのアニメーションを見ているような印象を受けた。PVも安っぽいアニメーションであるし、そう言う意図があって作ったのかなと思った。
ペンタトニックの使い方やメロディの跳躍の仕方が如何にも最近のボカロやDTMっぽい感じで中田ヤスタカや米津玄師を彷彿させた。
こう言う音楽が世間で流行っているのは俺にはよく分かる。イージーリスニングで、日常のBGMにもなり、それでいて所謂「エモい」からである。俺はもうおっさんなのでそのエモさにあんまり共感出来ないが、俺が中高生だったら感化されてるかもなと思った。
ちなみに俺が中高生の頃によく聴いていたアルバムは、THE BACK HORNの『人間プログラム』やMr.Childrenの『It’s a wonderful world』である。
高校生の頃、俺は新聞の朝刊配達のバイトをしていた。午前3時に暗く静かな田舎の住宅街で自転車を漕ぎながらMDでTHE BACK HORNやMr.Childrenを聴いていた。あの頃の世界に唯一人取り残されたような深い孤独とそれでいて清々しいような心象は今でも鮮明に思い返される。
最近はもうMr.Childrenを聴くことは少なくなったが、『It’s a wonderful world』は今聴いても素晴らしい。不朽の名盤だと思う。
今YOASOBIを聴いている中高生は、10年後20年後に再度YOASOBIを聴いた時、何を感じるのだろうか。
- アーティスト:Mr.Children
- 発売日: 2002/05/10
- メディア: CD
- アーティスト:THE BACK HORN
- 発売日: 2005/08/24
- メディア: CD
幻想即興小曲「Caged birds」
"Caged birds"
composed by Nehan Ariake
F# Minor pentatonic scale
BPM 68.2
使用機材:iPad mini 5(KORG iKaossilator)・KORG monotron DUO
KORG monotron DUOをローパスフィルターとして使用。
もっとAmbientっぽくするためにmonotronのような簡易なものでREVERBをかけられるものが欲しい。KORGのNTS-1 digital KITなども面白そうだがUSBバスパワーなのが面倒。大層な機材は俺のような電子楽器ライトユーザーには不要。monotronは電池で動くしステレオミニジャックで外部入力出来る手軽さが良い。
そういえばmonotron DELAYも昔持っていたが手放してしまった。monotron DELAYの方は小さいわりにDELAYが結構強力で、DELAYをかけすぎるとフリーズしたり電池の消耗が非常に早かったような記憶がある。DELAYタイムを短くして強めにかけるとREVERBっぽくなった記憶もあるのでそれで充分かもしれない。
KORG 手のひらサイズ アナログ シンセサイザー monotron DUO モノトロン デュオ シンプルなレイアウトで入門用に最適 スピーカー内蔵 ヘッドフォン使用可 どこでも使えるコンパクトサイズ
- 発売日: 2011/12/10
- メディア: エレクトロニクス
大人とは、手に入れたと思っているものを手放したくなくてこの世で粘っている死に損ないの阿呆である。
今週のお題「大人になったなと感じるとき」
俺は一両編成の電車に乗って、
見知らぬ荒野を進んでいる。
電車には俺の他に乗客は誰も居なくて、
自動運転なので運転手も居ない。
電車は奇妙な音を立てながら揺れている。
チンチン、マンマン。チンチン、マンマン。
電車は時々、荒廃した無人駅に停まるのだが、
その度に俺は何か物を一つ手放して、
駅に置いて行かなければならない。
そうしなければ電車を進められないそうだ。
チンチン、マンマン。チンチン、マンマン。
着替えもギターも鞄も靴も猫も、
もう置いていってしまった。
スマホも財布も、着ていた衣服さえも、
置いて行かなければならなかった。
チンチン、マンマン。チンチン、マンマン。
今、俺は全裸でパンダの被り物を被っているのみだ。
次の駅で、パンダの被り物か、俺自身を手放さなければならない。
パンダの被り物を手放せば、
残るのは全裸の俺のみ。
俺自身を手放せば、
そこで旅は終わりだ。
どちらにするのか、まだ決めかねている。
チンチン、マンマン。チンチン、マンマン。
車窓を流れる荒野の風景と、
座席に座る俺の
陰茎がやけに揺れている。
チンチン、マンマン。チンチン、マンマン。
冬でもエアリズムおじさん。'21
エアリズムとは
エアリズムとは、こちらもユニクロと東レが共同開発した、主にインナーなどに使用される新素材で、繊維の極細化により肌触りをよくし、吸湿拡散機能や、高い速乾性を持つと謳われているものである。
一見、ヒートテックの方が良さげだが……
そんな二者を比較すると一見、冬はヒートテックの方が良いと思うだろう。「ヒート」とか「発熱」「保温」などと謳っているのだから、いかにも暖かそうだと思うだろう。
そう思って俺もヒートテックを着ていた事もある。しかし、着てしばらくは確かにヒートテックは暖かいが、少し動いて汗をかいたり、長時間着ているとどうも汗が乾きにくく冷えるような感覚がある。
ユニクロがこれだけ自信満々にドヤ顔で暖かさを誇っているのに、何故俺はそんなヒートテックを着ながら寒空の下で震えているのか、俺の身体がおかしいのか、俺はあほなのか、いや、そもそもヒートテックってそんなにええもんなのか?
ヒートテックの弱点
2021年1月時点で現在販売中のヒートテックの素材は、
"38% レーヨン,31% アクリル,24% ポリエステル,7% ポリウレタン"
となっている。
38%と最も多く使われているレーヨンは絹に似せて作られた化学繊維で、吸水性は高いがその分乾きにくいという弱点がある。
このレーヨンが汗冷えの原因である可能性が高い。
では、何を着ればいいのか
インナーに高い機能性が最も求められるシーンはやはり登山だろう。そんな登山用のインナーを取り扱っているパタゴニアやモンベル、ノースフェイス、コロンビアなどのメーカーのものがいいのだろう。
何かで代用出来ないだろうか
アウトドアウェアブランドの最高級のインナーの素材を見てみると総じてメリノウールが使われている。メリノウールは保温性や防臭、調温機能が高く、優れたものである事は間違いないが、その分値段が高いし取り扱いがややこしい。
ウールはやめとこう、では?
アウトドアウェアブランドのインナーの多くは機能性を高めた独自の化学繊維が使われている。その化学繊維の正体は結局何なのかというと、大抵はポリエステルである。製法に違いはあれど、結局はポリエステルなのである。
少しも寒く無いわ
この冬、俺はずっとインナーに長袖のエアリズムを着て、その上にポリエステルの半袖Tシャツ、その上にフリースのジャケットを着ている。
屋外を歩き回ったり、室内で体幹トレーニングをする時もずっとエアリズムのインナーを着ていて、汗をかいたりもするが、汗がすぐ乾くので汗冷えする事なく、非常に快適に過ごせている。
ヒートテックを着ていた頃は急激に暖まって汗で冷えて気持ち悪くなる事が多かったが、エアリズムを着ていると、少し運動しても温度が安定しているように感じる。
と言うか、着ている感覚はあんまり無く、夜などにふと思い返すと、今日一日、結構動いて汗もかいた筈だが体温が安定していたな、と感じる事が多い。
エアリズムいいですね。
ただ、個人差もある
俺の体質にはエアリズムは相性が良かったが、ヒートテックの方が合う人もいるだろう。
ポリエステルが肌に合わない人もいるだろう。
綿の肌触りが好きな人もいるし、メリノウール至上主義の人もいるだろう。
俺は比較的温暖な瀬戸内海沿岸地域で暮らしているが、北国に行けばまた考えが変わるかもしれない。
寒い冬はまだまだ続く。
そこのあなたも、お兄さんも、お姉さんも、おじさんも、おばさんも、おじいさんも、おばあさんも、赤ちゃんも、犬さんも、猫さんも、牛さんも、横山さんも、森戸さんも、北川さんも、パンダさんも、常識や固定観念に囚われず、本当に自分に合ったインナーを見つけて、この冬を少しでも快適に乗り切って欲しい。
May the underwear be with you.
夢の中へ
アルデバランを目指して宇宙を散歩していたら足元がチクチクしたので見てみると、足に荊が絡まっていた。
どうやらこの辺りには宇宙薔薇が群生しているらしい。
その後は荊が絡まらないように足元ばかり注意して歩いていたら、アルデバランを見失ってしまった。
俺は宇宙の真ん中で迷子になってしまった。
※
「現実だと思って見ている世界は実は嘘の世界で、
夢の中の世界が本当の世界です。
本当です。
本当なんです」
可愛いらしいパステルカラーの花のようなドレスを纏った四人組の小人はそう言うと、何処からか流れてきた音楽に合わせて歌い踊り始めた。
「私たちはみんな偶然、原子が集まって出来た腫瘍みたいなもの。
生まれて消えるまでの芥。
形あるという事、それが苦しみの始まり。
私たちは皆、それぞれの地獄を、それぞれの足取りで彷徨っているるるるー」
という歌の美しいメロディと小人たちの和声と非整数次倍音が心地良くて俺は眠ってしまった。
※
卒業の日。
卒業式は極めてくだらないので行かないでおこうと思っていたが、先生が卒業証書だけ取りに来いと言うので式が終わる頃に学校に向かった。
学校に到着し、職員室に行ったが誰も居なかった。教室にも、体育館にも誰も居ない。
卒業式など本当は無かったのかもしれない。
街を見下ろす丘の上にある体育館の正面入口前から街を眺めながら、もうここに来る事は二度と無いのだろうなと思った。
※
気付いたら、遠くの星に来てしまった。
静かな美しい街の公園で、子供たちが楽しそうに遊んでいる。
鉄棒で遊んでいた男の子に話を聞くと、その男の子は四歳の時に小児がんで亡くなったそうだ。
この星では、戦争や虐待や飢えや事故や病気によって亡くなった幼い子たちが、何の不自由や心配も無く幸せに暮らしているらしい。
※
小賢しいインフルエンサー、
悪い政治家、
ヤバい新興宗教、
どえらい陰謀論、
いかれたネズミ講、
そして何故かそれらを信じてしまう人たち。
人間なんてそんなもの。
何でも自分の都合の良いように解釈して、
今、この場さえ気持ちよく過ごせればそれでいいのだ。
だって夢だから。
夢は突然なんの脈絡も無く場面が変わる。
こんな希望の無い悪夢にいつまでも執着していても仕方がない。
早くこの場面を終わりにするのだ。
※
異常の世界では、異常が正常で、正常が異常だ。
常識の尺度は単なる思い込みで、
善は悪に、悪は善に、いとも容易く入れ替わる。
陰と陽も、
快と不快も、
美と醜も、
幸と不幸も、
嘘と真も、
生と死も、
夢と現も、
入れ替わる。
「男泣き」のキモさ
俺はフェミニストでもなんでも無いが、「男泣き」という言葉はキモいなあと思う。
大概おっさんが泣いているだけである。
おっさんが泣いているシーンを美化するのに「男泣き」という言葉が使われる事はよくあるが、女性が泣いているシーンで「女泣き」と言う言葉が使われるのは聞いた事が無い。
これについて今流行りの所謂「フェミニスト」の連中はどない思てんの?
しかしながら、男は泣いたら駄目、強くないと駄目、みたいな古い価値観もかなり廃れて来ているので「男泣き」と言う言葉が死語になる日もそう遠くはないのだろう。
俺もそれまでは辛抱しておっさんが泣いたら「よっ、男泣き!」と言って美化するのに付き合ってやるか。
いや、やっぱり無理。
信仰とオタクと漫画の事など
世界の様々な神話などを読んでいるとその根底には、神様も人間と同じように感情豊かで、その神様は自然と一体になってあらゆる所にいるから自然を大事にしよう。
そしてその自然を自分たちの私利私欲の為に利用したりして大事にしなかったらそらブチギレまっせ。
と言うような啓蒙的役割があったように思う。
と同時に娯楽の少なかった時代の、今で言う少年漫画のようなものでもあったのだろう。
物語に登場する種々雑多な神々の中からある神にシンパサイズ或いは感情移入して「僕の私の推しは誰々」とか言ってみたりして遊んでいたのだろう。(それがオタク趣味、或いは信仰の始まり?)
三千年程前から人類にはそういうオタク性のようなものが備わっていて、そういう遊びを本気にしてしまう冗談の通じない人も一定数いて、それで喧嘩して時には殺し合ったりもしたのだろう。
今はそういうオタク趣味も多様化して、ある種の文化みたいになったが、本質的には三千年前から何も変わっていないと思う。
現実に生きられない冗談の通じないヤバいキモオタもいるし、資本主義のお陰でオタク文化も経済を動かすのに有用だとわかって来て今では市民権を得てきたので「僕の私の推しは誰々」とか言ってみるファッションオタクも増えたなと思う。
オタク趣味の対象はステレオタイプ的に言うと漫画、アニメ、ゲーム、アイドル、鉄道、模型などが挙げられるが、歴史上の人物、作家、芸能人、歌手、声優、スポーツ選手、スポーツチーム、新興宗教、メンタリスト、YouTuberなどのファンも根本的には変わらないだろう。
オタク趣味の対象はまだまだ無数にあって、そこまで多岐に渡ってくると、もはや誰もが何かのオタクで、何がオタクで何がそうでないのか分からなくなる。そもそもオタクって何やねん。
収拾がつかなくなってきたので漫画の話に限定して、俺が今までどんな漫画を好んで読んできたかと思い返してみると、曽根富美子さんの「親なるもの 断崖」とか、秋本治さんの「こち亀」、手塚治虫さん、つげ義春さんの作品などが思い当たる。
思い出すと結構心に残る素晴らしい作品ばかりで、また読みたいと思うが、全て手放してしまって手元に一冊も無い。
俺はオタクにはなれなかった。
しかし生きているという事は俺も何かのオタクなのかも知れない。