2021年(令和3年)の抱負。生きる。
地球環境はますます厳しくなる。
夏はますます暑くなり、
台風の規模は大きくなる。
クソデカ激ヤバ台風は今年も来るだろう。
それに加えてクソデカ激ヤバ地震も来るかもしれない。
アホはますますアホになるし、
悪党はますます悪くなる。
そんな世界と対峙していけるのか、
俺よ。
不安定な精神で、
希死念慮が常にあり、
月に三度くらいはもう本当にダメだなという時がある。
そんな事では駄目だ。
強く生きねばならない。
今のように繊細で軟弱なままでは生きてゆけない。
貪欲に生きるのだ。
アホになるのだ。
動物的に、
快を求め、
人を蹴落とし、
自分に優しく、
他人に厳しく、
厚かましく、
蒙昧たれ。
疫病下でもなんの信仰心も無いのに初詣の混雑に飛び込んでゆけるあの無知蒙昧な愚人たちのように、
愚かであれ。
騙し、誤魔化し、
信念など持たず、
流行りに流され、
自分の頭で考えず、
付和雷同でいこう。
要らぬ知識は捨てよう。
生きる為に最低限の知識があればいい。
原始人のように、
ゴキブリのように、
ヌートリアのように、
コロナウイルスのように、
生きよう。
父のように、
母のように、
弟たちのように、
かつての友たちのように、
生きよう。
豚のように、
河童のように、
鬼のように、
魑魅魍魎のように、
生きよう。
この世は地獄だ。
醜くて当たり前。
美しく無くてもいい。
糞を漏らしながら、
這いつくばってでも生きるのだ。
美学など邪魔だ、
捨ててしまおう。
そこまでして生きる価値などあるのか、
などと考えてはいけない。
とにかく生きるのだ。
生きるのだ。
生きるのだ。
初夢2021
俺は「ハルダークヴェラゲルジ」を目指して二車線の国道沿いの、ガードレールと高いブロック塀の間の幅2メートルくらいの歩道を歩いていた。晴天。
ガードレールと高いブロック塀の間の歩道には、なめ茸のようなぬるぬるしたものが散乱していて滑って歩き難い。靴も汚れるし、腹が立つ。
ガードレールの向こうの車道はバッファローやダチョウや秋田犬や天竺鼠の大群が絶え間無く疾走していて危ないし獣臭い。
車道の方を警戒しつつ転けないように慎重に小股で歩いていると、住宅街の方に入る道があったのでそちらの方を通る事にした。
住宅街の方は閑静で、道になめ茸が散乱していたり野生動物が疾走している事も無く安全だ。
この辺りは芸術家ばかりが住んでいる住宅街で、「へ」の字型の家、球体の家、外壁も家具も何もかも透明で中が丸見えの家、水玉模様のキノコ型の家、巨大な猫の形をした家、など様々な独創的な家が無秩序に建ち並んでいる。
独創的なのは家だけで無く、登っているのに降りているように錯覚するトリックアートのような歩道橋、24色のグラデーションのようになった信号機、「虚無」と書かれた透明のボトルしか売っていない自販機などもあり、街全体が美術館のようだ。
壮麗なグランドピアノ型の住宅の横を通過していると、誰かがこちらに向かって走ってくるのが見えた。よく見ると服を着ていない。
さらによく見てみると、顔がハコフグで身体は人間の男だ。
何故顔がハコフグなのに性別が男だと分かったかと言うと、骨格や走り方のフォームが完全に男であるし、陰茎が左右に揺れていたからである。
前後ではなく左右に揺れるのだなと感心していると、そのハコフグ男は俺に話しかけてきた。
「つい先程、整形外科で顔をハコフグに移植してもらったところだ。どうだ、かっこいいか」とハコフグ男は言う。
「非常にかっこいいですね」と当たり障りの無い事を言うとハコフグ男は「フッヘッ」と少し笑い、満足げに走り去った。
それから間も無く、目的の多国籍料理店「ハルダークヴェラゲルジ」に到着した。
窓から見える店内は暗いし昼時だと言うのに駐車場には車が一台も停まっていない。入口の方まで歩くと、定休日の看板が置いてあった。
多国籍料理店「ハルダークヴェラゲルジ」は外観は普通のファミレスのような感じだが、グルメサイトで調べたところによると、エラワルロティにスメタナをかけてメルジメッキ・チョルバスやウーゾと一緒に食べるのがお勧めらしい。
エラワルロティにスメタナをかけてメルジメッキ・チョルバスやウーゾと一緒に食べるなんて、そんなふざけた食べ合わせがあるものかと思ったが、よく考えてみると意外と合いそうな気がして、まあ俺は酒は飲まなくなったのでウーゾは飲まないにしても、スメタナをかけたエラワルロティとメルジメッキ・チョルバスだけでも是非食べてみたいと思った。
しかしエラワルロティにスメタナをかけてメルジメッキ・チョルバスやウーゾと一緒に食べられるという事ばかりに気を取られて定休日を確認するのを忘れていた。
俺とした事が情け無い。
今度は開いている日に来よう。
と思った所で目が覚めた。
2020年(令和二年)の終わりに
手洗いうがい、徹底してるか?
よく寝て、よく食べてるか?
信じられる未来は有るか?
地球温暖化、森林破壊、生態系破壊、気候変動、海洋プラスチックごみ、水質土壌大気汚染、食糧不足、エネルギー問題、人種差別、労働力不足、技能実習生問題、政治腐敗、格差、分断、そして疫病。
今人類が取り組んでいくべき課題は山のようにあるが、社会の末端にいて日々自分の事で精一杯の俺にはどうする事も出来ない。
ただそれら種種の問題が人智の飛躍的な進歩により解決され学者達の杞憂に終わる事を祈るのみである。
とまあ、偉そうな事を言ってみたものの、地球環境がめちゃくちゃになろうが人類が絶滅しようが大した事ではない。生けるものは遅かれ早かれ絶対にいつか死ぬし、なるようにしかならない。とも思う。
世間の人人を見ていると、少なくとも俺の見ている限りでは、自分の事さえ良ければ後はどうでもいい、今さえ良ければいい、今が楽しければ地球の未来や子供達の事などどうでもいい、という人間ばかりである。そういった態度こそが精神を病まずに日々を力強く生きる得策なのだろう。
よく考えてみると、俺には愛すべき家族も恋人も友人もいないし、二十代の不摂生が祟ったのか身体にもあちこちに不調が出てきた。心身共に非常に不安定な状態で、何をやっても楽しくないし、何を食ってもうまくない。俺はもう生きていたいとも思わない。そんな俺にとって地球や人類がどうなろうと憂うべき事は何も無いのであった。
人生は祭りだ。
騒いで死ぬだけだ。
さようなら皆さん。
末永くお元気で。
幻想即興雑記「人造の夜」
空中を浮遊する無数の発光海月が邪魔で眠れないのでそれを振り切ろうと夜の街を自転車で駆け抜けた。
眩い街の明かりが目にちらちらと刺さる。
このままこの光の中に溶けていってしまいたいような気分だ。
川面に浮かぶ機械仕掛けのアイガモは餌を啄むふりをしている。
祭壇の上には今日も冷凍された痩身の少女が眠っていて、明日の朝には新しいものと取替えられる。
神社の看板には「生きている事に感謝しなさい」と書いてある。
ここの神主もロボットだ。
もう凡ゆる職業はロボットで代替されている。
俺もロボットと似たようなものだ。
俺の身体は全て3Dプリンタで造られている。
心臓も脳も、全てだ。
ネガティブな事は何も考えられないように設計されているらしい。
だからこんな感情になるのはおかしいのだ。
何処かに不具合があるのだろう。
今度、脳と、ついでに網膜も新技術のものに交換してもらおう。
世界中の空は巨大なスクリーンで覆われていて、朝と夜は照明の輝度でコントロールされている。
俺は本物の太陽も月も星も見た事が無い。
夜空には人造のオリオン座が瞬いている。
昔、冬という季節があって、寒かったらしい。
今は空調で徹底的に温度管理されているし、皮膚の温度感覚も鈍めに設計されているので、一年中暑くも寒くもない。
暑いとか寒いとか、それってどんな感覚だろう。
そんな事を考えながら自転車を漕いでいたら目が冴えて一層眠れなくなってしまった。
帰ったら3Dプリンタで作った肉でも焼いて、映画でも観よう。
幻想即興童話「プリキュアたまごっちおじさん-Vanishing Point-」
むかしむかしある所に、プリキュアの格好をして、たまごっちを育てているおじさんがいました。
おじさんはいつもどこに行くにもプリキュアの格好をしてたまごっちを手に持っていたので、人々から「プリキュアたまごっちおじさん」と呼ばれていて、その呼び名がある程度市民権を得てくるとそれでは長くて呼びにくいので「プリおじ」と呼ばれるようになりました。
世間の人々はちょっとはみ出した人にはすぐ厳しく白眼視しますが、ある程度突き抜けてしまった人に対しては逆にもてはやすような傾向がありました。なので、プリおじくらいになると人々は割と寛容に接していました。若い男女や学生などにも人気で、プリおじを見つけると一緒に写真を撮ってSNSなどに投稿するような人も大勢いました。プリおじみたいな存在は稀有なので、内心では少し小馬鹿にしながら、みんな面白がってネタとして消費している所もありました。
ある日、プリおじがいつものようにカラオケで西野カナを歌っていると、若い鬼がプリおじの個室に入り込んで来ました。
「隣の部屋のもんやけど、お前さっきからおっさんのくせに若い女の曲ばっかり歌って気色悪いんじゃ。ほんでなんやねんその格好、プリキュアの格好なんかしやがって、頭おかしいんか」
「聞こえとったんですか。この店壁薄いですからね。でも、カラオケで何歌ってもその人の自由でしょ。それに、他の部屋に入る行為は禁止やって、店の貼紙にも書いてあるでしょう。というか、あなた隣におったんですね、歌う声が全然聞こえへんから隣室には誰もおらへんと思てましたわ」
「うるさいんじゃ。関係あらへんわ。なんかイライラして発散しようとカラオケに来たものの、なんや気怠うて、何にも歌う気がせえへんのじゃ。あーしんど」
「それは何か精神が病んでるんちゃいますか。話やったら聞きますから。まあ落ち着いてください。話せば楽になることもあるでしょう」
プリおじは若い鬼について少々乱暴なところもあるが話せばわかる奴だと思いました。また、若い鬼の重苦し気な表情を見て放っておけなくなり、初対面ではありましたが、カラオケ屋の店員に頼んで同室にしてもらい、鬼が酒が好きだというので普段は飲まない酒も頼みました。
「どうしたんですか。なんか最近嫌な事でもありましたか」
「嫌な事ばっかりやわ。ほんまに、おもんない。毎日同じことの繰り返しやし、なんかあんたが一人で楽しそうにしてたから腹立ってきて、怒鳴り込んでもうたんや。すまんかった」
「ええよええよ。こっちも音痴のおっさんやのに女の歌ばっかり歌って、確かに気持ち悪かったかもしれん。ごめんな」
「いやいや、あんた歌上手かったで。俺は歌が下手やから、正直言うと、ちょっと嫉妬したってのもあるわ」
「ほんまかいな。ありがとう。ところで、毎日同じことの繰り返しや言うてたけど、それは仕事のことかいな」
とまあ酒のおかげもあってか話は弾み、二時間ほど話し、二人はLINEを交換して解散しました。
話したところによると、若い鬼は自動車工場の作業員をしているが、毎日同じ流れ作業にうんざりしていて、腹を割って話せるような友達も恋人もおらず、熱中できる趣味も無く、周囲に良い助言をくれる賢い大人もおらず、つまらない毎日から抜け出したいがどうすればいいかわからなかったようです。
プリおじは自身もはみ出し者であるので、そんな鬼の気持ちがよくわかりました。だから何か相談に乗れるような事があればとLINEを交換したのです。
それからしばらく、若い鬼がプリおじに対して所謂ウザ絡みのようなLINEをし、プリおじも自分の事で結構忙しかったので、それをプリおじが適当にあしらうようなやり取りが週に一、二回あるような日々が続いていましたが、それでプリおじと仲良くなれたと勘違いした鬼は段々と調子に乗って、結構失礼な、プリおじの痛いところを突くような事を言うようになりました。
「プリおじはええなあ自分の好きな事ばっかりしてて。周囲からはキモがられてるけど。俺にはそんなメンタルないわ」
「鬼くんも好きなように生きたらええんやで。誰も鬼くんの自由を奪う権利は無いし、どんな趣味でも楽しんだもの勝ちなんやから。人生は短いんや。好きなようにしなはれ」
「それが出来たら苦労無いわ。お前はそういう才能にたまたま恵まれてたって言うか、頭のネジが外れてただけやろ。あほ。クルクルパーめ。親の顔が見てみたいわ」
「確かにそうかもしれん」
プリおじはその日の夜、生活していた実家の自分の6畳の子供部屋の中でぶら下がり健康器とロープを使って縊死しました。
翌朝、プリおじの母親がそれを発見しました。
プリおじの死はメディアでも取り上げられて世間の人々はしばらく騒ぎ立てましたが、月日とともに忘れ去られてゆきました。
プリおじの死を知った若い鬼もプリおじの死から三ヶ月後に自身の生活していた実家の子供部屋で首を吊って死にました。
若い鬼の死はニュースにもなりませんでした。
スクエア写真館。取り留めの無い虚実。絶滅危惧種の最後の晩餐とパラレル心象。
今年も人知れず、4万種以上の生物が絶滅した。
やさしい人から死んでいく。
俺の知らないところで生まれて、死んでいく。
それでも確かに存在したらしい。
やさしい人から死んで、厚顔無恥な人間ばかりが生き残るのが世の常なのだから、この世界が良くなる筈がない。
アイドルだって、可愛く在る為に命懸け。
最後の晩餐はトムヤムクンヌードルとチョコミントのアイスに決定しました。
心にも栄養は必要です。
理性的である事を強いられる社会だからこそ、感情の発露に対する受容性が求められる。
だから芸術は必要なのです。
今、俺は信州のあるスキー場で全裸でパンダの被り物を被って滑降しながらこの記事を書いている。
それは嘘です。
しかしあなたは今、スキー場で全裸でパンダの被り物を被って滑降しながらこの記事を書いている俺を想像したでしょう。
どんな俺を想像しましたか。
あなたの想像した俺はどこまで突き詰めても実際の俺とは違います。
俺たちのイメージが混ざり合う事はありません。
どこまで行っても平行線です。
そんなことより君は三毛別羆事件を知っているか。
どうして君たちは冬になったら疑う事もせず吸湿発熱繊維なるものを着てしまうの。
俺は永劫回帰も輪廻転生も天国も地獄も信じない。
死んだら永久に消滅する。
それだけだ。
もし来世があるとしたら、画家がいい。
信州に住んでいた頃、仮病で仕事をサボって松本市美術館に行った。
草間彌生さんの展示を鑑賞して、嗚呼、俺はこっち(芸術家)側の人間だなあとしみじみ思った。
目が覚めたら生まれ変わっていますように。
今あなたにGood night。
今私にGood night。
好古園の写真と幻想即興雑記「アセスイマチクワガタの飼い方」
アセスイマチクワガタとは、街に生息していて、人間の額に張り付いて汗を吸い取るクワガタの事である。
殆どのアセスイマチクワガタは秋になると死んでしまうが、稀に生き残る事がある。
生き残ったアセスイマチクワガタは汗が吸えないので身体がナナフシのように萎んでしまい、口が蚊のように細くなり、蟻の尻から蟻酸を吸うようになる。
そのようになったアセスイマチクワガタをアセスワズと呼ぶ事もあるが。生物学上は同じ種である。
アセスイマチクワガタは6月から長くても10月頃までしか生きられません。
それに非常にデリケートな生物です。
だから飼うのはお勧めしません。
どうしても飼いたい、或いはその生態を間近で観察したいという人の為に飼い方を説明します。
アセスイマチクワガタは人間だと認識したものの額からしか汗を吸いません。
汗だけあればいいという問題ではありません。
ですので、飼育者が自らの額から汗を吸わせてあげるか、或いはそれが出来ない場合はマネキンを用意してください。
アセスイマチクワガタは注意深い生物なのでマネキンを本物の人間に見えるように服を着せたり、手足が少し動くような仕掛けを付けたりしてください。そして、そのマネキンの額に食塩水かスポーツドリンクを染み込ませたスポンジを貼り付けてください。
アセスイマチクワガタは一人の人間の額に長時間居座る事はなく、頻繁に乗り換えをします。
マネキン一体ではアセスイマチクワガタが乗り換え出来ないので、額に食塩水かスポーツドリンクを染み込ませたスポンジを貼り付けて服を着せた動くマネキンを最低でも二体は用意しましょう。
アセスワズになったアセスイマチクワガタは多量の蟻酸を必要とします。1シーズンで一つの蟻の巣を全滅させる程です。アセスワズになったら飼育は諦めてお別れしましょう。
生態系が破壊されるので繁殖させるのはやめましょう。