有明涅槃雑記

(ブログ)

両親について

今週のお題「感謝したいこと」

俺が一番影響を受けたのは、おそらく多くの人もそうであろうと思うが、両親かなと思う。 やはり自分というものを回顧する上では両親について書かざるを得ないだろうと思うので書いてみる事とする。

先ず、両親はどんな人たちであったか、端的に言うと「消費者」だったなと思う。 或いは比喩を用いるとすれば、「資本家のペット」、「欲望のままに資源を食い荒らすゴキブリ」、「目前に人参を吊るされ走り続ける馬」とでも言えるだろう。

いつもテレビを見ていて、商業用宣伝を真に受け易いお人好しで、安売りに飛び付く、消費が大好きな人たちだった。高校を卒業してから全く本も読まず何の勉強もしていないので、情報源はテレビだけで、くだらないワイドショーなどを見て社会の事を知った気になっていて、政治や経済や社会の事など何も見えていない、積極的に知ろうともしない。そのくせ芸能人のゴシップなどには興味があるようで、そんな下世話な事には詳しかったりする。

そんな両親の事を俺は心底気持ち悪いと思うし、軽蔑していたが、しかしまあ、田舎の普通の中高年は大体そんなもんかなとも思う。俺の両親が特別愚かだったという事も無いだろう。もっと酷い親もいると思う。

時代や価値観は目紛しく変化していて、親と子の間に価値観の差、所謂ジェネレーションギャップが生じるのもよくある事だろうと思う。

俺がその両親から受けてきた教育というものは、まあ教育といえるようなものでは無かった。詳しく書くと思い出したくない過去がフラッシュバックして吐き気がするので抽象的になるが、対等な人間関係を築けない人たちだったので、支配的で、過干渉で、共依存的だったなと思う。まあそんな家庭もよくあるだろうと思う。 善悪の基準が自分たちの機嫌で、その場の気分で褒めたり叱ったりするので、俺は何が良くて、何が悪いことなのかわからなかった。教育に向いていない人たちだったなと思う。そんな奴に限って多産だったりすることはよくある事で、おぞましいことに、俺には弟が二人いる。

ここまで両親について一纏めで書いてきたが、父と母は別人格なので、分けて書こうかなと思う。

先ず父について。

父は威圧的で、非論理的で、話しても話にならない人だったのであまりまともに話したことはないが、俺が父について知っていることを挙げると父は大工の子で、高卒で、元自衛隊員で、田舎の中小企業で重役をしていたらしい。あんな人間でも重役は務まるのかと不思議に思っていたが、父は上に諂うのが上手く、下を苛責ってコントロールするのも上手かった。粗暴で強引でパワハラ気質で、時代遅れな価値観の人だったが、田舎の中小企業には偶々その性質がフィットしたのだろう。また、日本人にしてはそこそこ体格が良く、身体能力も高く、ゴルフがプロ並みに上手かったらしい。身体は丈夫で、まだ五十代半ばだったが、今年の夏、癌で死んだ。

父は重役で顔も広かったそうなので葬儀となるとかなり大規模なものになる模様で、俺は喪主などやりたくないし、葬式をばっくれてやろうかと思っていたが、疫病のおかげで家族葬となった。いいタイミングだったと思う。

五十代半ばという早い死に同情する点も無いでは無いが、浅薄で粗暴な人間が老いてさらに知性や理性が衰退するとかなり厄介な老人になるだろうし、そんな奴の介護など絶対にしたくないと思っていたので安心しているところもある。父が死んでから、俺の心は少し穏やかになった。

母はまだ生きている。無知な田舎者の癖にセレブ気取りなのか第一次産業に従事する人やエッセンシャルワーカーを若干見下している感が鼻につくが、まあどこにでもいる無学で平和ボケした田舎の中高年である。

人生はくじ引きのようなもので、生まれる家庭で大体決まると思う。 俺の両親はどちらかというと所謂毒親だったと思うが、毒親育ちを克服できるか否かも運だろう。 運よく良い他人、メンターと出会えたおかげで克服出来た人もいるだろう。 幸せそうに見えても、人にはその人にしか分からない苦悩が有ったりするのだろうし、俺の人生のくじ引きが吉だったのか、凶だったのか、俺は自分の人生しか生きていないのでよくわからん。

よくわからんがとにかく俺の両親は教育に向いていない人たちだったなと思う。こんな両親の元でまともな人間が育つわけがない。 しかし俺の両親が特別愚かだという事は無く、田舎の普通の人間だったなとも思う。 俺はまともではない。そういう自覚がある。 君はどうだろう。君はまともだろうか。